摩周湖ファイル
摩周湖DATA

位置・形態
【位置】
 北海道東部の阿寒国立公園の東端部の川上郡弟子屈町にあり、その南東端には標高858mのカムイヌブリ(摩周岳)がそびえている。その北東部を占めている

【湖面標高】
 摩周湖の湖面は海抜351mにあり、これを海抜500-700mの急傾斜のカルデラ壁がとり巻き、南東部はカムイヌプリ(摩周岳)の険しい山体で湖を埋めている。カルデラ壁と湖面との比高は150〜350mに及ぶ。

【大きさ】
 摩周湖の大きさは、第1展望台と裏摩周を結ぶ南西一北東方向を長軸として6.75km、これに直角にカムイシュ島を通る短経は3kmで、だ円形を呈し、 19.6平方kmの面積を有し、周囲は出入りがなく20kmに及ぶ。本湖の中央に浮ぶカムイシュ島は、長径(北西-南東)105m、短径50mで、湖面上に23mの突出し、ほとんど断崖で囲まれている。

【水深】
 最深が211.5mで、平均水探は138mと報告されている。カムイシュ島付近の等深線をみると、この島を中心に、同心形状にとり巻いている。島が本湖底へドーム状に開き、湖底から噴出した火山が、その頂部を僅かに湖面上にのぞかせていることを示している。 等深線分布によると、本湖底は水深200mが主体であり、湖底全体がこの水深で平坦であることを示す。水深200mから湖岸につては急残しており、本湖が湖内でも鍋一筒型を呈し、湖岸から 50一70度の急傾斜で、平坦な 200mの水深部に達していることがわかる。

【水位】
 摩周湖の水位については、2mほど低下があった(1953)とされる。近年の調査(1973年)でも1.3 m内外の低下が過去にあったと推定されている。しかし、大局的には大きな水位変動があったとはみられない。このような一定の水位を保っているのは、環壁の亀裂を通じて、湖水が漏出していると考えられる。湖の南東方約9kmの道さけ・ますふ化場・虹別事業所(海抜220m)の湧水が、本湖水と関係があるとされている。この湧水量は、毎秒1.5m立方で、被圧水である。また、この種の湧水は、湖の北東10数kmの同ふ化場・斜里事業所、あるいは美留和、川湯駅北側の湧出水も、本湖からの透水とみられている。しかし、虹別事業所の湧出量 1.53m立方毎秒、を年間一定として、摩周湖の流域と、弟子屈の年降水量1.138mm(永年平均、蒸発量を0とする)を用い、湖水量を一定として計算すれば、虹別の年間湧水量は、年降水量の94.2%に当たる。この値は、その他の浸水地の水量から考えると過大で、すべて摩周湖水の参透水とみることはできない。

【注入・排出川】
 摩周湖の水位については、2mほど低下があった(1953)とされる。近年の調査(1973年)でも1.3 m内外の低下が過去にあったと推定されている。しかし、大局的には大きな水位変動があったとはみられない。このような一定の水位を保っているのは、環壁の亀裂を通じて、湖水が漏出していると考えられる。湖の南東方約9kmの道さけ・ますふ化場・虹別事業所(海抜220m)の湧水が、本湖水と関係があるとされている。この湧水量は、毎秒1.5m立方で、波圧水である。また、この種の湧水は、湖の北東10数kmの同ふ化場・斜里事業所、あるいは美留和、川湯駅北側の湧出水も、本湖からの透水とみられている。しかし、虹別事業所の湧出量 1.53m立方毎秒、を年間一定として、摩周湖の流域と、弟子屈の年降水量1.138mm(永年平均、蒸発量を0とする)を用い、湖水量を一定として計算すれば、虹別の年間湧水量は、年降水量の94.2%に当たる。この値は、その他の浸水地の水量から考えると過大で、すべて摩周湖水の参透水とみることはできない。
【底質】
 本湖の底質については、湖岸近くでは岩石・砂であるが、水深35m-209.5mでは岩石、砂、赤泥・泥などで、水深に関係がない。すなわち、35-209.5mでは砂と泥がほぼ半々である。泥は赤色泥が多いが、これは酸化したもので、ヘドロではない。
 北海道(1972)によれば、底質泥の化学分折から、軽石が微細化したものであるとみなしている。

地形・地質
【摩周湖の成因と地形】
 摩周湖の成因と地形 摩周湖の前身は摩周火山が陥没してできたカルデラである。摩周火山は、その西部一帯に広がり.屈斜路湖やアトサヌプリ火山群を中央部に抱く、だ円形の屈斜路カルデラ(東西26km、南北20km)の東端壁を貫いて噴出した雄大な成層火山である。
 この火山は、その基部が海抜150m内外で示される、半径8〜10数kmの大さで、その山体斜面は湖の西-南側の、川湯、美留和、弟子屈、虹別に、今もその姿を見せている。その上部は陥没したため、山体は途中で水平に切られたように、カルデラ壁で示される。

【摩周湖周辺の地質】
 摩周湖は火山地帯に生れた火山湖である。従つて、湖には激しい火山活動の跡を随所に残している。湖をとり巻く環壁は、屈斜路カルデラと関係する溶結疑灰岩、軽石流を基底として5枚の溶岩流からなる。
 30数万年前(氷河時代)に今の屈斜路湖のあたりにあった屈斜路火山が噴出し、以降巨大噴火を繰り返しました。膨大な火砕流を噴出して跡地が陥没し、約3万年前(旧石器時代)に「屈斜路カルデラ」が形成されたのです。その規模は阿蘇カルデラをしのぐ日本第1位、世界でも有数の大カルデラです。
 その屈斜路カルデラ形成の反動によって、1万数千年前にできた火山が摩周火山であり、約8千年前ごろまで盛んに噴火を繰り返しました。そして約7千年前(縄文時代早期)に破局的な大噴火をおこし、摩周火山はその一生を終えると共に、摩周カルデラを形成したのです。その火砕流は現在の弟子屈市街地に高さ数mの台地を築き、火山灰が根釧原野のほぼ全域をおおう大規模なものでした。
 その後、約3千年の期間を要し、この大きなくぼみに徐々に水がたたえられ、今より広い「摩周湖」が誕生するのです。そして約4千年前(縄文時代中期)に摩周岳が噴出し活動を開始。これにより摩周湖の東側約4分の1が埋められ、ほぼ現在の姿へと変身したのです。
 摩周岳も約千年前(平安時代)の大噴火により山頂が破壊され現在の姿となり、以降その活動を休止しています。この噴火は噴出量から見ると、昭和52年の有珠山大噴火の約10倍と推定されています。摩周湖が今のように、一定の水位を保ち神秘的な美しい姿として定着したのも、この時代からでしょう。また、湖の中央にはカムイシュ島火山も噴出しました。湖面から見えている部分の高さは約30mにすぎませんが、高さ約230mの火山の頂上がほんの少し顔を出しているのです。硫黄山を少し小さくしたような火山が水面下に姿を隠しているのだから本当に驚きです。
 摩周湖はカルデラ湖の特徴を示して深く、最深211.4m、平均でも137.5mほどとなります。周囲約20km、面積19.2km2とカルデラ湖としては日本第6位の規模を有し、日本を代表するこの美しい湖は、多くの人々を魅了し続けています。

摩周湖の水
 人々を魅了してやまない摩周湖の色は、言うまでもなくその透明度からきています。摩周湖は注ぎ込む川がなく、雨がその水源のほとんどを占めています。そのため不純物が運び込まれず、プランクトンや粘土などの浮遊物が極めて少ない美しい水をたたえているのです。この天然に存在する水としては限りなく純粋な水が、あの藍を流したような深い独特の青色を作り出しているのです。
 また、摩周湖には流れ出る川もありません。しかし、湖の水位はほぼ一定に保たれています。それはダムのように絶え間なく水を溜める湖が、自らの圧力で地下をくぐり地下水となり、わき出しているからなのです。変わらず豊富な水をたたえ続ける摩周湖は、およそ100年分の雨を保有しているという説もあります。私たちの生活に潤いを与える、その清らかで豊かな水脈は、日本で最後の水がめといえるかもしれません。

摩周湖の霧
「霧の摩周湖」という有名な歌があるほど、摩周湖は霧で有名な湖です。
 観光シーズンの5月から10月の半年間で、摩周湖が一日中見える日は100日、時々見える日は50日、全く見えない日は25日ほどです(昭和61年〜平成7年の10年間の平均値)。摩周湖の霧は特に6月から7月にかけ多くなり、この時期には一日中湖が見える日は一月の半分ほどとなり、時々見える日は10日ほど、全く見えない日は6日ほどになります。また、摩周湖では一寸先が見えない濃霧から、急変して素晴しい晴天になることがしばしば起こります。訪れる人々を一喜一憂させる、まさに神秘の湖なのです。
(摩周湖の霧にいつわる噂)
■カップルで摩周湖を訪れ、霧で湖面が見えなければ関係が長もちする。
■未婚者が霧のかからない摩周湖を見ると婚期が遅れる。
■お金持ちが摩周湖を訪れると霧に閉ざされ、貧乏人が訪れると晴れる。

湖は環境の鏡
 流れ込む川も流れ出す川もなく、高さ150〜350mにおよぶ深いカルデラ壁にすっぽりと包まれた摩周湖は、周囲の影響を極めて受けずらい環境にあります。とすれば湖水に影響を与えるものは、水系からのものではなく大気の状態が最も大きい要因といえるでしょう。
 摩周湖は、まさに世界的規模の大気汚染の状況を忠実に映し出す鏡なのです。
 地球の環境変化を知るモニタリング調査の対象となっている、世界でも数少ない湖の一つ摩周湖は、人類にとって貴重で尊い存在なのです。
 摩周湖は出入りする川がないせいか、元来魚類などは生息せず、エゾサンショウウオだけがいたという珍しい湖でした。
しかし、大正15年から道立水産ふ化場がニジマスの採卵・ふ化事業を開始。昭和3年まで3回にわたりニジマスの稚魚約37,000尾を放流しました。また、昭和4年にはアメリカからスチールヘッド約13,000尾を移入。同時に魚のエサとして同じくアメリカ産のウチダザリガニ約500尾を放流しました。
 
このほか、スジエビもエサとして放流されているようです。
 
放流事業は戦争により中断されましたが、昭和43年にはヒメマスに魚種転換し同稚魚41,000尾を、昭和45〜49年までは毎年約50,000尾を放流しました。しかし、あまり良い成果が得られず、昭和49年の放流が最後となりました。
 放流された魚は湖にプランクトンが少ないため、極端に増殖しているとは思えませんが、少しづつ増えているようです。また、ザリガニもかなり繁殖しています。この放流魚の繁殖が摩周湖の透明度の低下要因の一つという説もあります。
 現在、摩周湖は国立公園特別保護地区として手厚く保護されていて、立ち入りや動物の捕獲・採卵などは厳しく規制されています。
 なお余談ですが、現在阿寒湖で大量に生息しているウチダザリガニは、某ホテルが観光客に見せるために摩周湖から持ち帰ったものを湖に放した結果、繁殖したものだと言われています。
 北海道の地名の主なものは、ほとんどがアイヌ語系列のもので、その語源には意味が含まれています。
 たとえば屈斜路湖の場合、湖が川になって流れ出す口をクッチャロ(のど口)といい、この湖のクッチャロのそばに昔から有力なコタン(村)があったため、和人がその名を湖名にして屈斜路湖と呼ぶことにしたのです。
 しかし、摩周湖の「マシュウ」は美しい名にもかかわらず、語源が定かではないのです。
 アイヌの人々は「マシュウ」とは呼ばずに「キンタン・カムイ・ト(山にある・神の・湖)」と呼んでいたようですし、摩周湖は何から何まで神秘的とでもいうほかなさそうです。
摩周湖の語源について2つの説を紹介します。
「マシ・ワン・トー(カモメ・の・沼)」説(永田方正説)
 北海道西部、北部ではカモメのことを「マシ」とも言っていましたが、この辺では「カピウ」と呼んでいたようですし、昔、摩周湖にカモメが飛んでいるのを見たという人もいるようですが、魚を常食とするカモメが、魚のいなかった山奥の湖に名前になるほどたくさんいたとは思えません。
「マ・シュ(小島の・おばあさん)」説(佐藤直太郎説)
 見失った孫を探しさまよい摩周湖のほとりまで来てしまったおばあさんが、悲しみと疲労で動けなくなってしまい摩周湖の小島になってしまったというカムイシュ島の伝説に基づくものですが、地名が先にあって後から伝説ができるという一般論から外れるものです。
 摩周湖が初めてその神秘的な姿を観光客に見せたのは、昭和4年に弟子屈〜摩周第一展望台間の道路が開通してからでした。しかし、当時は車をとめて摩周湖を眺めることができる展望スペースがあっただけで、その後も木造のあずまやなど簡易的な展望台が建てられただけでした。
 そして、摩周第一展望台〜川湯間観光道路が全通したのは昭和24年で、第一と第三の両展望台が本格的に整備されたのは、それから9年後の昭和33年のことでした。それぞれ木柵や石段、説明板などが設置され、第一展望台は鉄筋コンクリート地下式2階建となったのです。
 ところで皆さんは「第一展望台と第三展望台があるのに、なぜ第二展望台はないのだろう?」と不思議に思ったことはありませんか。実はあったんです。第二展望台が・・・
 昭和14・15年当時に摩周外輪山を一周する細道がカルデラ壁頂上部づたいに作られました。この細道は第一展望台と第三展望台を結んでいて、第一展望台から1kmの地点は狭いスペースながら写真撮影の好ポイントとして人気があったのです。この地点が第ニ展望台と呼ばれていたのです。第一展望台と第三展望台間を散策路として整備しようという計画もあったようですが、危険な箇所が多く断念。そして、次第に人の通行も途絶えていきました。
 現在はふみわけ道の跡が一部に見られる程度で、その痕跡はほとんど残っていません。第二展望台はまさに幻の展望台といえるでしょう。
 北海道の湖には大きなアメマスが住んでいたという伝説が数多くあります。サケ科の魚で湖で大きく成長するものもいるアメマスを、アイヌの人々は地震や災害を生む魚として怖れていたようですが、深い淵を持つ湖の神秘性と、巨大なもの未知のものの恐怖が作り出した言い伝えなのでしょう。
 そんな大アメマスにまつわるスケールの大きな伝説が摩周湖にもありますので紹介します。
【摩周湖の大アメマス】
摩周湖に棲む大アメマスが、ある時湖畔に水を飲みに来たシカを丸のみにしたため、シカの角が腹に刺さって破れて死んでしまいました。
 それが湖底をくぐって西別川の湧水池に来てひっかかり、水の出口をふさいでしまったため、摩周湖の水は今にもあふれそうになってしまいました。
 それを見た鳥の神様のカッコウが近くの集落に知らせたところ、川上の集落では安全な土地へ逃げましたが、知らせを信じない川下の集落の人々は、湧水池に行って大アメマスを発見し、喜んでそれを引き抜いてしまいました。たまりにたまった摩周湖の水はおそろしい勢いで噴き出し洪水になり、川下の人だけでなくあたりの土地の一切を押し流してしまいました。
 
それで今の平らな根釧原野ができたのです。
 摩周湖周辺地帯は、気候的には温帯の中でもずっと北寄りに位置する亜寒帯に入ることから、私たちが平地と考えている場所でさえ、高山にも似た厳しい気象条件となり、植物の立場から見ると、極めて高山に近い亜高山性から高山性の条件の中にあると言えるのです。
 一般的に高山植物とは、森林限界(大雪山で千数百m)より上の高山帯に成育するものを指しますが、摩周岳や摩周カルデラの尾根では、標高が1,000mにも満たないのに、高山植物を見ることができる場所があります。
 この地域では低・高にと
らわれず、局所的に高山植物が混生した独自の分布を形成しているのです。
 こうしたこの地域の植物の低地植生から、亜高山性のダケカンバ(シラカンバの仲間)やミネザクラなどの低木類のほか、登山道周辺などではエゾカラマツソウやハクサンチドリなどが、また、摩周岳の岩場ではエゾツツジやイワギキョウなどの可憐で美しい高山植物が見られ、植物の種類はおよそ700種前後となっています。
 なお摩周には、あまり知られていませんが、唯一の固有種として報告されているマシュウヨモギ(キク科)が成育しています。固体数が極めて限られるうえ、湖岸植生のため一般に観察することは残念ながらできず、図鑑などで紹介されることも少ない正に幻の植物と言えます。
▲ミネザクラ(バラ科)
北海道指定植物。高山帯に分布し、6月に登山道で美しい花が見られる。
▲エゾカラマツソウ(キンポウゲ科)
北海道指定植物。高さ50〜70cmくらいで、6〜7月に白色で糸状の花を咲かせる。
 
摩周カルデラ内の植物は、湖の誕生以来7千年を経て現在も100%原始の様相を見せています。森林は、カルデラ壁の切り立った岩盤を除き、豊かな植物に覆われてしっかりと摩周湖を守っているのです。
 森は、ダケカンバやアオダモ、シナノキ、オヒョウニレ、トドマツ、エゾマツなど、先月号で説明した周辺地域の植物の低地植生とやや似通って、針葉樹と広葉樹の混生林を構成し、そこには700種前後の植物が生育しています。しかし、近年は大変残念ながらエゾシカによる樹皮食いで、オヒョウニレなどの高木類が被害に遭い、今後の摩周湖の環境が心配されています。

【ダケカンバ群落】
 摩周湖周辺では最も多く見られる高木で、第一展望台〜第三展望台にかけて美しい群落が見られます。北海道の重要な植物群落として、緑の国勢調査で報告されています。
【クマイザサ群落】
 摩周湖一円ではクマイザサの勢力が強く、多くを占めています。林床を覆っている笹は、地上茎葉と共に地下茎の発達が著しい植物で、土砂の流失保湿を防いだり、保湿、汚水のろ過、炭酸ガスの吸収など、さまざまな活躍をしています。摩周湖の環境維持には大変重要な植物と考えられています。
※参考・摩周湖の笹−クマイザサ(九枚笹)・川湯硫黄山周辺の笹−ミヤコザサ
 みなさんは松浦武四郎という人物を、そして、摩周湖の湖岸にはこの松浦武四郎が一夜を過ごしたと言われる洞窟があるのを知っていますか。
 文政元年(1818年)に伊勢国(現在の三重県)に生まれた武四郎は、全国を股にかけ各地の名所・旧跡を訪ね歩いた探検家で、その足跡は、当時異国とされていた蝦夷地(北海道)にまで及びました。
 日本北端の領土である蝦夷地の豊富な資源に着目し、他国からの防衛強化の必要性を考えた幕府は、そんな武四郎を蝦夷地を詳しく知る第一人者として注目。安政2年(1855年)には蝦夷地調査の特命を与えたのでした。
 そして、翌年3月に渡道した武四郎は、北海道開発の第一歩とも言える調査を開始。約3年にわたり先人未踏の内陸を踏査し、詳細な地図(山川地理取調図)を作ったばかりでなく、その調査をもとに地誌(東西蝦夷山川地理取調日誌)をまとめ上げました。
 この日誌は地方別8冊からなり、そのうちの道東編にあたる「久摺日誌」には、安政5年(1858年)4月4日から7日にかけて摩周湖周辺を訪れた際の様子が記載されています。
 6日に摩周岳東側の湖岸に降り立ち泊まった洞窟を、武四郎は「大きさ5丈(1丈は約3.03m)に奥行きも5丈の大岩窟。その中は2つに割れて穴が2つになっている」と表現しています。この洞窟を当時のアイヌの人々は「神の宿るいわや」として祭り、猟の際の休憩場所などに利用していたようです。  
 みなさんもよく知っているとおり、摩周湖にはたくさんのウチダザリガニが生息しています。
 摩周湖のウチダザリガニは、同湖に放流したニジマスなどのえさとして、昭和4年にアメリカから移入したものが繁殖したものです。
 現在では、阿寒湖をはじめ道東各地の湖沼や河川で見られるウチダザリガニですが、そのルーツは摩周湖へ放流されたものと考えられています。
 昭和29年8月14日、昭和天皇、皇后両陛下が北海道行幸の際、当町を初めて訪問されましたが宿泊はされず、およそ3時間の視察・滞在の後、その日の宿泊場所である阿寒湖畔へ向かわれました。(この日は濃霧のため、両陛下は摩周湖を見ることができませんでした)
 そこで昭和36年5月に両陛下が来道された際、摩周湖のザリガニを召し上がってていただこうと考えた町は、町職員数名を摩周湖へ派遣し捕獲した20匹以上のザリガニを、滞在先の札幌グランドホテルへ届けたのです。 なお、この時最初に輸送したザリガニは途中で死んでしまったため、再度、捕獲し送り直したということです。
 戦前日本では現在の農水省の指導の下、ウチダザリガニを摩周湖のように魚のえさとしてではなく、国民の新しいタンパク源として導入した時期もあったようですが、高水温に弱いこともあってか定着しなかったようです。しかし、現在はフランス料理で珍重される食材から、阿寒湖や塘路湖のものなど人気が高まっているようです。  
 摩周湖には入り込む川も流れ出る川もありませんが、湖の水位は一定に保たれています。
 普通に考えると、流出入河川がない場合には、雨が降ると湖水は増加するはずです。にもかかわらず、水位が常に一定ということは、摩周湖の水はどこかへ漏れていると考えられるでしょう。つまり、湧水となってわき出しているというわけです。
 摩周湖周辺には、美留和ふ化場やあめます川、仁多川、神の子池、西別川ふ化場など21ヶ所の湧水ポイントがあり、その起源は、摩周湖の水が地下へ浸透したものと言われています。
 皆さんの中には、「それらは本当に摩周湖の湧水なのだろうか」と疑問を持つ方もいると思いますが、この謎を科学的に解明しようと、摩周湖の水位と周辺湧水の湧出量の変動との関係や水質について調査が行われています。
 降水量等から算出された摩周湖から地下へしみ込む水の量は、平均すると1秒当たり約0.7トンで、水位の低下でみた場合は1年間で約12cm低下していることになります。それは降水等の状況から日々変動していますが、周辺湧水量の70%を湧出する西別川源流の湧水量と比較した場合、数ヶ月の期間のずれで変動パターンがほぼ一致しています。また、摩周湖と周辺湧水の水質について、ナトリウムやカルシウム、塩素などの分析を行った結果、その含有成分は同じで含有割合も極めて近いことが判明しています。これらの調査結果から、周辺の湧水は摩周湖の水であり、それらは3〜5ヶ月をかけて地下を通り、わき出していることがわかっています。
 ちなみに、西別川源流では1秒当たり約1.5トン(摩周湖の湧水以外を含む)もの水がわき出しています。これは1秒で家庭のお風呂がいっぱいになる量といえばわかりやすいかもしれません。摩周湖の水はまさに恵みの水なのです。
 摩周ブルーと呼ばれる独特の藍を流したかのような深い青色が、多くの人々を魅了する摩周湖。その美しい湖水の色を作り出しているのは、言うまでもなく昭和6年に41.6mという世界一の数値を記録した透明度です。
 摩周湖は世界一から70年を過ぎた現在も、世界有数の透明度を誇り続けています。その美しさを保ち続けている要因として、人の手が及びにくい環境であることが上げられます。高さ150〜350mにも及ぶカルデラ壁が湖面に突き刺さるように湖を囲み、容易に人を近づけずにきたため、人的汚染が極めて少ないのです。
 また、この他にも様々な理由が挙げられます。その一つは、湖に流れ込む川が一本もないことです。つまり、川が運び込む動植物プランクトンや土砂などで汚染される心配がないのです。
 ところで皆さん、実は摩周湖に水を送り込んでいる沢が、一つだけあるのを知っていますか。とても小さな沢ですが、年中かれることなく、幅30cm程の流れが摩周湖に続いています。実際には、湖水の数cm程手前で地中に染み込み、湖へとつながっているのですが、流れ込む川が一本もないという表現は、正確には正しくないのかもしれません。
 ただし、この沢の水も摩周湖を覆う浸透性の高い火山灰層にろ過された後、湖に入り込むため、水質への影響は考えられません。
 摩周湖の源は雨水と雪解け水です。それらは直接湖面に降り注ぐだけでなく、周囲の斜面を伝い湖に入りますが、その切り立ったカルデラ壁の岩盤には水で流される土は少なく、また他の部分の土壌は前述したように、吸収力が高くろ過作用があることから、染み込んだ水が極めて汚染の少ない状態で湖へ入り込みます。
 摩周湖の美しさはその類い希な環境が作り出した奇跡なのです。
てしかがえこまち推進協議会・弟子屈町
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